2006-06-17
大阪歴史博物館の常設展にいく

大阪歴史博物館
http://www.mus-his.city.osaka.jp/

初挑戦がトプカプ宮殿の所蔵品の特別展の時で、そのときは入り口までいったがあまりの混雑ぶりに尻尾を巻いて逃げ出して以来、ひさびさの訪問となった。

土曜とはいえ、雨だし、常設展しかやっていないからほかに見学客もいないかと思っていたが、そうでもなく、入り口には20人くらいの団体がちょうど入ろうとしているところだったし、中にも結構人がいた。

10階から7階にかけてが常設展の展示場所で、10階から順に降りていきながら見ていく。10階が大阪が「難波京」だった時代の展示。いろいろな発掘物などもあるが、あらためて興味を持ったのが、大阪の昔の地形。
縄文時代には今の大阪の中心部は「河内湾」つまり海の底であり、瀬戸内海に南から北に突き出している半島状の「上町台地」の東側が河内湾。
弥生時代に上町台地の北側が砂洲になり、「河内湾」から「河内湖」になった。
その後、河内湖は陸地となり、今のような地形となった。
難波京や四天王寺など、飛鳥~奈良時代くらいの古い遺跡は、いずれも上町台地にあるとのこと。
こういう郷土の地形の成り立ちというのを知ると、結構おもしろい。

今回一番関心を引かれたのは、9階の「天下の台所」時代の「米切手」。

写真は「米切手 筑後蔵」。

キャプションによると、
「筑後国にあった久留米藩(有馬氏)が発行した米切手。これを蔵屋敷に持っていけば、額面の米と交換できた。久留米藩では文化11(1814)年に実物の米の裏付けがない不渡りの切手(空米切手)を大量に発行して大きな問題となった。」
とある。

空米切手(からまいきって)・・・
うむ、これって江戸時代の一大金融スキャンダルということだろう。
いつの世も金融あるところ不祥事あり、ですな。

「空米切手」でGoogleってみると、以下のようなページが参考になりそうだった。

日本銀行金融研究所
貨幣博物館
http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/feature_38.htm

大阪商業大学商業史博物館 質問掲示板
http://moch.daishodai.ac.jp/cgi-bin/usr/qabbs/qabbs.cgi?mode=disp&file=31

大江戸経済学 大坂堂島米会所
http://www.h6.dion.ne.jp/~tanaka42/doujima.html

※最後の「大江戸経済学」はすごく面白く参考になる。
 作者のtanaka1942bさんはすごく有名な方なのかも。



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