2006-06-03
社会への貸し?

昨日道を歩いていたら、突然気づいたことがあった。
そして、目の前が開けたような感じがした。

もうゴールデンウィーク前のことなので1ヶ月以上前のことだが、
朝の通勤電車で、非常に不愉快な経験をした。暴力的な人物といさかいを
起こしてしまった。それ以来、駅や繁華街などの雑踏で、今までなら自然に
「譲り合い」ができていたような場面で、無意識に「譲らない」ようになってしまっていた。

電車での出来事がわだかまりとなっているということはなんとなく
分かっていたが、昨日突然、自宅近くの道を歩いている途中に、
こんな言葉が頭に浮かんできた。
 ― あの一件以来、自分は「社会に対してある種の“貸し”がある」ように
   感じているな。
   だから、他人に対して譲るという心が持てなくなっているんだ

そして当然、次の瞬間には
 ― でも本当は、社会に対して“貸し”があるどころではなく、
   逆に“借り”だらけだ

ということになり、自分の中にあったわだかまりは、消えました。
悪いのはあの暴力的な人物(と、それを外見から察知して危険回避を
しなかった自分)なのであって、他の人は関係なかった。

ということで、ようやくもとの素直な自分に戻りました。その間ご迷惑を
お掛けした皆様にはお詫び申し上げます。



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